客観性より関係性で
”新しい介護をはじめよう!”というセミナーを聞いてきました。
講師は理学療法士の三好春樹さん。
情景が思い浮かぶようなゆっくりした話し口に引き込まれました。
介護とは・・・?
参加者は学生さんだったり、介護職に就いてる人だったり。。。
認知症のおじいちゃんの話を”うん、うん”ってうなずきながら、聞いてる人の多いこと!多いこと!
そんな事例をほとんど知らない私にとっては、どのお話も新鮮でした。
”受容の原則”ですってね。
否定しない。
そして、自発性・主体性を引っ張り出すケアが必要なんだと。
それって、私がよくこうせいに対して思うことだなぁ~って感じたの。
本人の力を、思いをどれだけ引っ張ってこれるか。引き出して来れるか。
力ずくではムリなんだよね。
そう考えた時、よく使われている言葉に疑問を感じませんか?と三好先生。
”体位変換”、”水分補給”
疑問感じる?
それなら、なんて言い換える?
それを参加者3人1組になって考えるの。あらかじめ、知らない人同士が横になるように座らされててね。
私は認知症の人に関わってるヘルパーさんと同じグループになりました。
先生の答えは”寝返り介助”
じゃぁ、水分補給は?
飲水介助?それもまだカタイ。
もっと話し言葉で。普段使ってる言葉で。
あとね、急性期・慢性期って言葉。
慢性期って介護の世界だよね。
倒れた、手術した、一命を取り留めた・・・ここまでは急性期。科学的な、画一的な治療が必要。
その後、だんだん回復して、でも倒れる前とは同じように体が動かなくなったりする。客観的で個性的な介護が必要となる。
”慢性期”ってなんか後ろ向きな気がしない?
じゃぁ、なんて言い換える?
”生活期”だって。対する言葉に”生活剥奪期”。
キツイ言い方だけど、現状はそうかもしれない。
その言い方のほうが、本質を突いてるかも。
大きな痙攣で自発呼吸が出来なくなって、ICUで呼吸器につながれてたこうせいを思い出した。
夜でも明かりが消えることはなくて、呼吸器のせいで歯も歪むけれど、何より生きることが最優先される急性期。生活は・・・剥奪されるよね。
私もパイプ椅子二つで寝る方法を覚えた時期だった。
最近のこうちゃんはとても落ち着いてる。
発作も2月から起こしてない。
でも、もちろん寝返り介助にドリンクバーは必要。食事にトイレ、お風呂も介助が必要。
それを”慢性期”って言われるよりは”生活期”って言われるほうがいいな。
たかが、言い方だけど、言い方って大事☆
だって、生活してるんだもの。
これがフツーだもの。
お話聞きながら、いろんなこと思い出したり、考えたり出来て良かったわ。
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