そこにいる意味
こうせいと一緒に伯母の7回忌に行きました。
体も大きくなってきたし、変声期を迎えた声で大声を出してもなぁ・・・と一瞬躊躇したのですが、いっぱいお世話になった大好きな伯母の行事。
変な遠慮はいらないなと思いました。
そしてここで遠慮をすると何も踏み出せなくなるなと感じるのです。
迷惑かも・・・と思うこともありますが、こうせいと一緒に参加することでほんとに考えが変わることが多いです。
始まるまで、色んな人に握手を求めたり、唾を出してみたりとアピールし放題でしたが、お経が始まると急に神妙な顔になり、じっと聞いていました。
そしてお経のリズムが乗ってくると「おぉー!!」と喜んでいました。
何度も何度も。
読経の間は静かにしているもの。
でしょうが、ほんとにそうかな
というか、伯母の為にあげているお経に喜んで盛り上がっているこうせいの姿って、伯母が見てたら嬉しく思うんじゃないかなって。
いや、静かにするもんや!!って怒られるかな。やっぱり。
でもそれって常識や体裁にとらわれているからだったりしない?
亡くなって7年目、こういう風に過ごしていきなさいっていうお釈迦様の言葉やリズムに「おぉー!」って同意してる姿って、いい感じじゃない?
この姿を通訳し間違えるから、おかしなことになるんじゃないかなって思ったの。
「これ!騒いじゃだめ。静かにしなさい。」
「すみませんねー、この子が騒いじゃって・・・」
こう言っちゃうと、何も分かってない子がただ奇声をあげただけでしょ。
ここで声をあげた意味を推測し、さりげなく代弁出来たら、また違うんじゃないかな。
法事やお葬式って、こういう風に参列するものって決めつけてたけど、形じゃないよね。
亡くなった方に会いたかったり、思い出したかったり、話したくて集うもの。
こうせいといると何度も原点を考えさせられる。
それを実行するのは気力も体力も使うけど、今はそれでも実践していきたいなと思う。
久しぶりに親戚と会い、色々喋れたし、いい時間だった。
一緒に行けてよかったな☆
k
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